大江健三郎『キルプの軍団』を読んで~もしかしたらとても優しい話なのかもしれない
大江健三郎『のキルプの軍団』を読みました。
僕の読書傾向からみると、ちょっと異色な選択です。
(おおむね、村上春樹なんかを好んで読んでます)
大江健三郎は、学生時代に、
『個人的な体験』を読んだきり、かなり長い間読んでこなかった作家です。
そして、久しぶりに読んでみたのが、この『キルプの軍団』でした。
岩波文庫です。
物語は、高校生のオーちゃんが語るあるいは書き綴る形式で進められていきます。
正直に言って、なかなか手ごわい、とっつきにくい小説でした。
(途中長々と英文が入ったりもしたし)
書かれたのは1988年ごろで、おそらく時代背景もその頃だと思われます。
オーちゃんが警察の暴力団係に勤める忠叔父さんと、ディケンズの「骨董屋」という作品を原文のまま読み、勉強するというところから話は始まります。
タイトルにもあるキルプと言うのは、「骨董屋」の登場人物で、恐ろしい極悪人のように描かれている人物。
そして、忠叔父さんが気にかけている百恵さんという元サーカスで一輪車に乗っていた女性が登場し、彼女の夫や彼らを取り巻く人たち(彼らは映画を作ろうと集まった人たち)、そしてその中に、映画を作る手伝いをするということでオーちゃんが参加することになります。
しかし、百恵さんの夫を含め、映画を作ろうとしている人たちは、かつて学生運動を行っていた過激派の人間なのでした。
この作品は、キルプをはじめ『骨董屋』の登場人物が、何か恐ろしいものの象徴のようにして常に作品の根底にあり、また学生運動という、シリアスで暗くなりがちな主題を扱っています。
だけれど、それがそんなに重苦しくなっていないのは、まだ成熟しきっていない高校生オーちゃんのフィルターを通して書かれているからだと思います。
また、同時に家族のことも描かれており、それらの影響によって、作品がどこか明るくて、作品全体の救いにもなっているのではないか、とも思います。
また、大江健三郎の長男も障がいを持っているけれど、この作品にも障がいを持った長男がいて、彼の放つ言葉が、いかにもシンプルで、的を得ていて、正直で、それがどこか癒しにもつながっているのです。
ある意味、これは家族を描いた小説ともいえるかも知れません。
僕が読んだ大江健三郎の中では、『個人的な体験』が自分の家族(彼の長男)のことを描いているのですが、彼はある時期から自分の家族を題材に書くことが多くなってきたようです。
彼の長男(光さん)が音楽で自立をできるようになった時には、大江自身、もう書くことの意味がなくなった、的な発言もしていたように記憶しています。
何はともあれ、『キルプの軍団』は、読了するのにかなりの時間がかかってしまった本ではありましたが、その分読み終えた時には達成感があり、また、先にも書きましたが、暗い題材であるにもかかわらず、どこかに温かい、癒しのような気持にもなった作品でした。
この本の中に出てくるディケンズの「骨董屋」も、かなりの体力と根気がいりそうな小説のようですが、この「キルプの軍団」を読んで、いつかはその「骨董屋」も読んでみたいと思いましたね。
では。